私が今集めている漫画にBLACK LAGOONというものがある。(全9巻)最近作者さんの筆の進み具合が芳しくないため新刊が出ていないのが悔やまれるがそれはともかく金欠故中々集まらないのである。
そして1~2ヶ月ぐらい前にたまたまお金が少々ある時(今は手元に全然ない)ファビオラというキャラ目当てで9巻を買った。そこで買う前に前評判を気にする癖故にAmazon等のレビューを拝見させていただくと...
「ロック(というキャラの主に表情)がどんどん悪くなりますよ」
というようなレビューがあまりにも多かった。そして届いてみて読んでみると...「どう見ても悪い顔には見えない」のである。逆さまにしても鏡に移しても清々しい笑顔である。そしてそのレビュアーさんやガルシアくんやファビオラとかの立場を想像して初めて「あ、悪い顔だ」と思った。
私の目が腐っているのかそうでないのかはともかく、私が普通に読んでいたら「9巻のロックは清々しい笑顔をしている」と思ったままだっただろう。これは一体どういう齟齬だろうと思いながら過ごしていたら。
とあるブログ様(個人のブログ様なのでURLは載せないが)に出会ったのである。
これは革新的な発見(当社比)で、疑問がすっかりと氷解してしまった。
其れとは別に、私が9巻と某ブログ様を読んで思ったことを書きたいと思う。
―――
ロック・ガルシアくん・キャクストン。その中でもロックは主に自己満足と享楽で動く。(それを善意とも悪意ともいい変えていいし状況にもよる)其れは人助けにおいても同様だろう。(日本編などが其の最たる例だが)
だがちと待ってほしい。それは誰しも同じなのではないのか?
例えばガルシアくんは(言い方は悪いが)「いかなる代価があろうと死の舞踏に加わらない」ことと「ロベルタを死の舞踏から引きずり出す」こと以外はぶっちゃけどうでもいい感じがある。事実作戦などは人任せであったりする。
結局その2つの理由は側面だけ引っ張りだして突き詰めると自己満足(でありもう一つの側面を引っ張り出せば利他行動でもあるのだが)とも言えるし、自己満足という面ではある種の享楽を得ているとも言えなくもない。そういう意味では対してロックと変わりないではないか。
キャクストンも同様だ。彼は「人間が野蛮な時代を乗り越えることが出来ないのなら自分のいる戦場だけでも其れを食い止める」ことを主題として動く。彼は彼の手の届かない範囲のことは「どうでもいい」と割り切るしか無いし、所詮自己満足の域を超えることは出来ない。そういう意味ではガルシアくんやロックと同じ自己満足・享楽を得るという側面が有る。
結局彼ら3人は自己満足という意味では同質であり、またどこに信念を置くか、或いは享楽と自己満足にどれだけ重きをおくか(享楽・自己満足と信念を天秤にかけているかとも言えるだろう)といういみでは相容れない異質でもある。
ロックは自己満足に非常に重きを置いている。其れは悪行ならともかく、善行をする際には非常に邪魔で仕方がない。其れが強ければ強いほどというより自制が効かないほどに善行をしようと思っても、ほぼ確実に自分の利益に成るように余計な手を入れてしまうだろう(今回は空砲弾というガルシアくん側の信念に泥を塗るという悪手、本物ならロベルタが死ぬ可能性もあるがあそこまでにはならなかった)
その点ガルシアくんやキャクストンは善行をする際には便利だ。彼らは信念の方が重く、享楽や自己満足の側面があっても薄く軽いからこまけてしまう。そしてその行動は「紛れも無い善人」の行動に映る。
でも彼らは止むに止まれぬ事情でさえ信念を通せなかったり悪行に手を染めてしまったら、とたんに汚濁にまみれたように見える。(9巻では信念を曲げたのではなくロックに図らずとも曲げられた形だからガルシアくんたちは汚濁にまみれて見えないのだが)詰まるところ柔軟性がなく、悪行に適さないという欠点がある。
ではロックはと言うと、「夕闇」の立場だから悪行を取ろうと善行を取ろうと自由だ。そこは柔軟性が非常に優れている。目的のためには手段を選ばないことの筋が通るのだから。
ただ、問題は善行をとっても悪行をとってももう少し信念に重きを置かなければ途端に汚濁にまみれて見えるということだ。彼は9巻では特に自己満足と享楽を優先しすぎたフシがある。それは見方を変えると「信念がないペラペラの人間」にも見えてしまう。(事実もう少し信念と思慮があれば9巻ラストでのこのこ出てこない)
詰まるところ彼に足りないのは「信念」であり「矜持」であり「ある種の一線」だ。其れがなければ彼の脳天に穴が開いてしまう。
だから日本編でも出てきたように、「所詮はオレの自己満足だ、だから他人の領域を犯さぬように」と吹っ切れつつも自戒するもよし
「趣味に動き過ぎない様にきちんと自重すべきところは自重しよう」というのでもよし
自分が「自己満足の塊」であることを自覚し「だからこそオレはこうするぞ」「それでもオレはこうするんだ」という信念(協調性や思いやりを加味したものでなければならない)が出来て其れを肝に銘じ死ぬまで掠れなかった時初めてロックという人間は「夕闇の悪党」としての完成に近づけるのではないかと思う。まぁ夕闇にいるためには柔軟性を保つためにその信念も自重せねばならないが...夕闇は面倒だ(苦笑
彼はずっと子供のままでいられる日本というぬるま湯から出て、ロアナプラという街でようやく吹っ切れた大人になれるチャンスを掴んだのかもしれない。(まだチャンスであって大人になりきれていないが、これからに是非期待)
―――
後書き及び編集後記
...思えば姉御然り張さん然りガルシアくん(まだ発展途上だが)然りそういう信念ができている人がBLACK LAGOONには多い気がする。そこが一つの持ち味ではないかなー、とかおもいました(笑)
こういう文を書く時に常体で書いてしまう癖何とかならないかなOTL
そして1~2ヶ月ぐらい前にたまたまお金が少々ある時(今は手元に全然ない)ファビオラというキャラ目当てで9巻を買った。そこで買う前に前評判を気にする癖故にAmazon等のレビューを拝見させていただくと...
「ロック(というキャラの主に表情)がどんどん悪くなりますよ」
というようなレビューがあまりにも多かった。そして届いてみて読んでみると...「どう見ても悪い顔には見えない」のである。逆さまにしても鏡に移しても清々しい笑顔である。そしてそのレビュアーさんやガルシアくんやファビオラとかの立場を想像して初めて「あ、悪い顔だ」と思った。
私の目が腐っているのかそうでないのかはともかく、私が普通に読んでいたら「9巻のロックは清々しい笑顔をしている」と思ったままだっただろう。これは一体どういう齟齬だろうと思いながら過ごしていたら。
とあるブログ様(個人のブログ様なのでURLは載せないが)に出会ったのである。
これは革新的な発見(当社比)で、疑問がすっかりと氷解してしまった。
其れとは別に、私が9巻と某ブログ様を読んで思ったことを書きたいと思う。
―――
ロック・ガルシアくん・キャクストン。その中でもロックは主に自己満足と享楽で動く。(それを善意とも悪意ともいい変えていいし状況にもよる)其れは人助けにおいても同様だろう。(日本編などが其の最たる例だが)
だがちと待ってほしい。それは誰しも同じなのではないのか?
例えばガルシアくんは(言い方は悪いが)「いかなる代価があろうと死の舞踏に加わらない」ことと「ロベルタを死の舞踏から引きずり出す」こと以外はぶっちゃけどうでもいい感じがある。事実作戦などは人任せであったりする。
結局その2つの理由は側面だけ引っ張りだして突き詰めると自己満足(でありもう一つの側面を引っ張り出せば利他行動でもあるのだが)とも言えるし、自己満足という面ではある種の享楽を得ているとも言えなくもない。そういう意味では対してロックと変わりないではないか。
キャクストンも同様だ。彼は「人間が野蛮な時代を乗り越えることが出来ないのなら自分のいる戦場だけでも其れを食い止める」ことを主題として動く。彼は彼の手の届かない範囲のことは「どうでもいい」と割り切るしか無いし、所詮自己満足の域を超えることは出来ない。そういう意味ではガルシアくんやロックと同じ自己満足・享楽を得るという側面が有る。
結局彼ら3人は自己満足という意味では同質であり、またどこに信念を置くか、或いは享楽と自己満足にどれだけ重きをおくか(享楽・自己満足と信念を天秤にかけているかとも言えるだろう)といういみでは相容れない異質でもある。
ロックは自己満足に非常に重きを置いている。其れは悪行ならともかく、善行をする際には非常に邪魔で仕方がない。其れが強ければ強いほどというより自制が効かないほどに善行をしようと思っても、ほぼ確実に自分の利益に成るように余計な手を入れてしまうだろう(今回は空砲弾というガルシアくん側の信念に泥を塗るという悪手、本物ならロベルタが死ぬ可能性もあるがあそこまでにはならなかった)
その点ガルシアくんやキャクストンは善行をする際には便利だ。彼らは信念の方が重く、享楽や自己満足の側面があっても薄く軽いからこまけてしまう。そしてその行動は「紛れも無い善人」の行動に映る。
でも彼らは止むに止まれぬ事情でさえ信念を通せなかったり悪行に手を染めてしまったら、とたんに汚濁にまみれたように見える。(9巻では信念を曲げたのではなくロックに図らずとも曲げられた形だからガルシアくんたちは汚濁にまみれて見えないのだが)詰まるところ柔軟性がなく、悪行に適さないという欠点がある。
ではロックはと言うと、「夕闇」の立場だから悪行を取ろうと善行を取ろうと自由だ。そこは柔軟性が非常に優れている。目的のためには手段を選ばないことの筋が通るのだから。
ただ、問題は善行をとっても悪行をとってももう少し信念に重きを置かなければ途端に汚濁にまみれて見えるということだ。彼は9巻では特に自己満足と享楽を優先しすぎたフシがある。それは見方を変えると「信念がないペラペラの人間」にも見えてしまう。(事実もう少し信念と思慮があれば9巻ラストでのこのこ出てこない)
詰まるところ彼に足りないのは「信念」であり「矜持」であり「ある種の一線」だ。其れがなければ彼の脳天に穴が開いてしまう。
だから日本編でも出てきたように、「所詮はオレの自己満足だ、だから他人の領域を犯さぬように」と吹っ切れつつも自戒するもよし
「趣味に動き過ぎない様にきちんと自重すべきところは自重しよう」というのでもよし
自分が「自己満足の塊」であることを自覚し「だからこそオレはこうするぞ」「それでもオレはこうするんだ」という信念(協調性や思いやりを加味したものでなければならない)が出来て其れを肝に銘じ死ぬまで掠れなかった時初めてロックという人間は「夕闇の悪党」としての完成に近づけるのではないかと思う。まぁ夕闇にいるためには柔軟性を保つためにその信念も自重せねばならないが...夕闇は面倒だ(苦笑
彼はずっと子供のままでいられる日本というぬるま湯から出て、ロアナプラという街でようやく吹っ切れた大人になれるチャンスを掴んだのかもしれない。(まだチャンスであって大人になりきれていないが、これからに是非期待)
―――
後書き及び編集後記
...思えば姉御然り張さん然りガルシアくん(まだ発展途上だが)然りそういう信念ができている人がBLACK LAGOONには多い気がする。そこが一つの持ち味ではないかなー、とかおもいました(笑)
こういう文を書く時に常体で書いてしまう癖何とかならないかなOTL
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プロフィール
HN:
ANUBIS
性別:
非公開
自己紹介:
享楽主義者で極度の虚弱体質であり、調子が悪くなると饒舌に成る特殊体質の持ち主。
なんだかんだで3日坊主ですぐ飲めないお酒に逃げたがる割に怠惰故に逃避を拒む矛盾した人。
平日に更新しているときは大抵虚弱なお陰で病欠の時だと思われ。
なんだかんだで3日坊主ですぐ飲めないお酒に逃げたがる割に怠惰故に逃避を拒む矛盾した人。
平日に更新しているときは大抵虚弱なお陰で病欠の時だと思われ。
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